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カンファレンス

5月12日(月)、父の退院後について 病院看護師、ケアマネ、訪問看護師、おば、私が参加のカンファレンスがあった。

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今回の帰省中、最も重要な日。

 

今までは 居宅介護支援を受け 一人暮らしをしていた父だが、今回の入院で そろそろ一人暮らしは限界じゃないかと思っていて。

 

で 今回、カンファレンスには 娘さんも参加して欲しいとのことだったので帰省し(父のことも心配だったし)自分の考えを持って参加。

 

電話でしか話したことのない 男性の訪問看護師にも、今回初めて会うことが出来 色々と 今までの父の様子を聞くことが出来た。

 

何かあると 父の面倒をみてくれていた おば からも、電話では聞いていなかった色々な話を聞けた。

 

私が知らなかった え〜?!って思うような 色々なこと。

 

地元の皆さんに 父は本当にお世話になってきたんだな〜 と痛感した。そんな皆さんに、感謝しかない。

 

自分の父親のことなのに、離れて暮らしている私だけが何も知らなくて とても複雑な気持ちなった。

 

カンファレンスでは、自分の考えと同じく 周りで関わってくれていた方々の意見からも 1人暮らしは厳しいだろうとなり、施設入居の方向で話を進めることに。

 

だが この日までにケアマネさんに空き状況を調べて貰っていたのだが、地元の施設には空きがない状況で。

 

となると、隣の市の施設か 私が関われる愛知県の施設か の話になり、父に関しては 地元から離れるのは大変だろうと思ったので 隣の市での施設入居希望で話を進めてもらう事にした。

 

でも 肝心なのが、父が施設入居を拒まないかが問題で。(みなさんもかなり心配していた)

 

この日の面会時に、退院後は すぐに家に帰らず 元気になるまで施設で過ごせる様にお願いしたよ、と 私、おば、看護師、ケアマネさん から父に言葉を変え伝えてみたが、父に限らず うん  という返事を貰えないのが大半だというように 父も うなずいてはくれなかった。

 

あと 何かを言いたそうだが、言葉が出てこないので 意思疎通が出来ない。

 

私が帰省中 入院中の父に面会できるのは、この日と翌日のみで あまりにも日にちが無さ過ぎで。

 

とりあえず、翌日に ケアマネさんから 隣の市のどこの施設が入居可能かの連絡を貰える様にして この日は病院を後に。

 

考えが甘かったなぁと 今後のことについて 不安を感じながら、母が 実家の庭仕事をしながら待っているので迎えに行くと、暗いリビングから 『えらいことになってしもた。。』って 右肘を抱えながら出てきて、その顔を見てビックリ。

 

右目の横(目尻から頬にかけて)が5cmくらいザックリ切れてる?(実際は メガネのレンズが 顔の皮膚に押しつけられて 食い込んだ跡だったみたい)

 

顔よりも母は右肘を痛がっており、すぐに整形へ連れて行くことに。

 

どうやら 柿の木の消毒をするのに、噴霧器を肩から斜めに下げ 脚立に乗って作業をしていた様。その時に 地面がふかふかしてる箇所があり 脚立がぐらつき落ちたとのこと。

 

噴霧器があったので 咄嗟に手をつくことが出来ず、右肘と顔から落ちたみたい。

 

不幸中の幸いで あの年の割に、大腿骨にも 痛がっていた右肘にも骨折はなかったようで、少しホッとしたが骨挫傷とのことだった。f:id:inagon175:20250531134106j:image

私も右膝を去年骨挫傷と言われたけど、母のこの状態こそ ↑

 

骨挫傷で納得 苦笑(私のは今でも骨挫傷では無いと自分では思っているw)

 

写真は翌日の状態だが 当日より内出血が酷くて 心配。元気な母だけど、やっぱり年なのだ。

 

 

 

まだ この日の時点では決まっていない父の退院時には 間違いなく私は愛知に戻っているので、1週間以内に父が退院だと 日常生活でも安静が必要なのに 運転は無理な母にいろいろ頼めないし、

 

おばも 父のお世話からはもう卒業したいと言っていたので そんなおばに頼めないし、

 

と 困ってしまい、頭の中で いろんな不安に押しつぶされそうになっていた。

 

そんな時、旦那さんから電話があり いろいろ話しているうちに、父の施設の場所も 愛知で探しても良いんじゃないか?(隣の市の施設なら 地元じゃないんだし 愛知の施設でも変わりないんじゃないか?)って。

 

という考えも浮上してきたので、翌日 ケアマネさんには その考えと ただ愛知の施設を探す為にも時間が欲しいと 伝えよう、と 気持ちに整理がついたのだが、

 

やっぱり その後も色々考えてしまって 寝れなかった。

 

父への説得が難しい点に加え、地元の施設の空きがない、母のケガ と いろんな心配が重なった日だった。